大学3年の冬に就活が始まった。
将来どうなりたいか、何をしたいのか俺なりには考えていた。
しかしながらパチンコに侵されていた俺のことである。
『まあ、まずは大企業っしょ』『まあ文系だし営業っしょ』
ぐらいにしか考えていなかった。他の友人たちと比べて明らかに浅はかである。
未だにパチンコを中心に生きていた。
当然就活はうまくいかなかった。この大学生活パチンコしか打ってこなかったから。
要は中身がスカスカだったんだよな。
面接のとき何もアピールできない自分がはがゆかった。
そしてようやく本当に自分が何をしたいか考え始めた。
その結果 消防士 になりたい になった。
詳しい理由は割愛するが、
・命を守り、貢献したい
・幼少期の頃、消防士と触れ合う機会があったから
が主な理由。
早速公務員試験の勉強に時間を当てた。が、時すでに遅し。
試験まで一か月しかなく、無残に散った。当然といえば当然。
正直諦めきれない気持ちはあった。しかしとりあえず他の企業に入って、それでも諦めきれなかったらまた目指そうと思い、一般就活を再開した。
最終的に運よく農業系の会社に総合職として内定された。
そしてぎりぎりの単位で大学卒業を迎えた。
(パチンコ依存症あるあるではなかろうか。下手してたら留年してた)
:新社会人編
念願の一人暮らしとなった。
同期ともそれなりに仲良くなり、切磋琢磨しながら研修に励んだ。
やがて研修が終わり、配属は営業第一課になった。
会社ナンバーワンの売り上げを誇る課で、なんで俺が配属されたのかは分からなかったが、誇りと不安を抱えながら仕事に臨んだ。
ただ、相変わらず パチンコを打つ→やめたい のループからは抜け出せなかった。社会人になってからいよいよ4パチに手を出すようになり、毎日家で絶望し発狂していた。一日に10万とんだことも多々あった。
貯金なんて微塵もなかった。できなかった。
新しい環境、新しい仕事、そしてパチンコをやめられないストレスで、徐々に俺の頭は壊れていった。(ただこの時はこれらが原因だと分からなかった)
常に頭にもやがかかったような状態になり、ご飯を食べても味がしなくなった。テレビを見ても内容があまり入ってこず、面白くなくなっていった。
誰とも話したくなくなり、仕事が終わったら一人になりたくてすぐに家に帰ってた。そしてひたすらスマホを死んだ目で見るばかりだった。
夜は次の日が来るのが嫌で、なかなか眠れなかった。原因もわからず、仕事に行くのがとても怖くなっていた。
そしてついに限界を迎え、退職することになった。入社して半年くらいの出来事である。
:フリーター編
情けないが実家に帰ることにした。そして諦めきれてない部分もあったので、また消防士を目指すことにした。
もちろん働かないわけにはいかないので、アルバイトで高齢者向けの弁当のデリバリーをすることにした。
そして今度こそパチンコを克服して幸せになるぞ! と本気で腹をくくり、勉強に臨んだ。(何度目の本気だろうか・・)
ネットで2万円くらいするパチンコをやめられる教材も買った。当時の俺にとってこの2万円はかなりの大金だったが、やめたい気持ちが強く、藁をもすがる思いで購入してしまった。
他にもありとあらゆる方法を試した。が、やはり虚しく散ってしまう。
4円パチンコの刺激を一度覚えてしまったからである。
当然アルバイトの給料で4円パチンコの費用を工面できるわけもなく、
今まで絶対借りまいとしてきたが、とうとう借金をすることになってしまう。
借金はすぐに膨れ、最終的に40万くらい借りてしまった。フリーターの分際で。
いつやめられるんだろうか・・
いつまで奴隷なんだろうか・・
治る日はくるのだろうか・・
終わりの見えないこの地獄の状況に泣き、絶望する毎日だった。
そんなこんなで月日は流れ、消防試験を迎えた。
パチンコもしていたが勉強もそれなりにはしていたため、
幸いなことに筆記試験はパスすることができた。体力試験もパスした。
そしていよいよ忘れもしないあの採用面接を受けることになる。
面接官は3人だった。前半までは上手くいっていた気がする。
圧迫気味の面接でも堂々と自信を持って答えられたし、
「このままいけば採用かも」と内心喜んでいた。
すると一人の面接官からこんな質問がとんできた。
「君は言葉を発する際に、”正直” という単語をよく使うね。この傾向にある人は嘘つきが多い。君は嘘をついているのかい?」と。
俺は焦った。かなり焦った。
卒業旅行でゼミの教授と友達で某外国に行って、フルマラソンを完走した話をしたんだが、この話で嘘をついた。
実際に行ったし、完走もした。だが、本当は教授がマラソンを好きだから成り行きで行くことになったのを、
何か変わったことがしたくて、俺主導でみんなを説得して行くようにした
という風に話をすり替えていたんだ。
俺は指摘されて以降しどろもどろになり、前半の勢いはもうなくなっていた。そしてそのまま面接の終わりを迎えてしまった。
結果は落ちた。当然だ。チームワークが大事な消防に嘘つきはいらないもんな。
勘違いしてほしくないが、俺は
「パチンコのせいで試験に落ちた」
なんて思ってもないし、言うつもりもない。
俺がこの話で伝えたいのは、
パチンコをずっと打っていると、嘘をつくことに慣れ、罪悪感も感じなくなってしまいそれが習慣化してしまう ということである。
俺はパチンコを打つために、あらゆる嘘をついてきた。
だけど、それが習慣化していたことに気がつかなかった。
この記事を読んでくれている依存症の貴方も、たぶん大小関係なく嘘をたくさんついてきたんじゃないだろうか?
俺は本当に消防士になりたかった。だから試験に落ちて絶望した。
けど、指摘してくれた面接官に感謝している。
自分の状態に気づけたし、これ以来嘘をつくのに抵抗を感じるようになったから。
:社会人編
消防士を諦め、転職活動をした。
幸いなことに仕事はすぐに決まり、商社で営業をすることになった。
しかしながらパチンコは相変わらず克服できず、借金は徐々に増えていった。
負のループからは抜け出せず、ストレスmaxな仕事で稼いだお金もパチンコに消える。転職して2年くらい経った頃には
「俺は何のためにこんなつらい仕事をして、パチンコに消えるお金を稼いでいるんだろう」
「何のために生きているんだろう」
「いつになったらパチンコを克服できるんだろうか」←
(これは終わりが見えないから、非常に辛かった)
と、毎日そんなことばかり考えていた。
そして克服を失敗するたびに自分を責めるので、自尊心は地の底まで落ち、主体性はなくなっていった。
当然、こんな状態で仕事もうまくいかなかった。
そしてついに限界を迎え、またうつ病になってしまった。
新卒のときよりひどくなり、電車に乗ったときは吐き気を催し、毎回途中駅で降りるようになっていた。倒れそうにもなったが、それでも出社していた。
もう誰とも話したくなかった。人生に疲れた。殻に閉じこもりたかった。
友人とのlineグループも抜けていた。
ただ、この精神疾患のおかげでいよいよ克服に希望の光が差した。
俺は、パチンコはお金と時間を奪っていくとばかり考えていた。
けどそれだけじゃなかった。
健康
という一番大事なものを奪っていくことに、体験してようやくここで気が付いたんだ。
俺はこの事実に心底恐怖を感じた。また頭の中で何かが変わった気がした。
これ以降、克服するためにあらゆることを試していった。
(何をどう試したかは別記事でまた書きます)
その結果、ようやく、本当にようやく回復の道を現在歩むことができるようになった。
18歳から26歳までまじで長かったなー
そして今日で脱パチして 283 日になります。
まだまだ弱小の日数かもしれませんが、自分にとっては奇跡の日数です。
今までどんなに頑張っても2週間が限界でしたから。
もちろん、これからもこの日数を継続させていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
GOOD LUCK