
脱パチンコ276日目です。9か月過ぎました。とりあえず目標である1年までこのまま突っ走ります。
今日は私スパイダーマソについてとパチンコ依存症になるまでを書いていきます。
:スパイダーマソ(自分も救う側になりたいという思いでこの名前に)
:男
:27歳
:パチンコ依存症歴 7年
:過去の脱パチ最高日数 2週間(短けえ笑)
1992年、九州のとある県で産声をあげる。
乳児のときから肩幅が広かったらしく、股につっかえてなかなかコンニチハしなかったと母は言う。しかもへその緒が首にぐるぐるに巻き付き、あわや天に召されるとこだったらしい。よかった。
:幼稚園の頃
小さい時からおとなしく、あまり自己主張しない性格だったように思える。けど、側転とか買ったばかりの光る靴を先生に見せびらかしていた記憶がある、、(どっちだ笑)
さすがにパチンコとの出会いはまだない。
:小学生の頃
性格は変わらずおとなしい感じだった。友人も多く、よく遊んでいた。足が速かったため、女子からもよくモテていた。
野球カードやデジモン、ポケモンなどにはまる。
しかしこの時代に憎きパチンコに出会ってしまったのである。
夜に家族とドライブしているとき、パチンコ店からまばゆい光があちこち照らされる光景をよく目にしていた。遠方まで光が照らされ、見るたびに不思議な気持ちになったのを覚えている。(今はもうこの光はないのかな?)
それからパチンコという存在を知ってしまい、また気になってしょうがなかった。そして遂に、
パチンコ屋に入ってしまうのである。わずか7歳で。
今でもはっきり覚えている。ジャラジャラとした爆音やデジタル画面がズラーと並んだ光景を。7歳というまだ感覚が繊細で好奇心旺盛な子供が、まだ世間を全然知らない子供がこの空間を知ってしまったのである。俺は唖然とした。店員に注意されその後外に出たが、俺の頭の中はそれ以降
『パチンコに行きたい』で埋め尽くされてしまった。
親に何度もパチンコ行きたいと言っていたのを覚えている。
何度も言うがわずか7歳のキッズである。異常でしかない。
この頃から俺はすでに軽度のパチンコ依存症になっていたんだと思う。
当然、将来このパチンコでここまで地獄を味わうことを7歳の俺が知るわけがない。
この出来事をきっかけにゲームセンターでパチンコを打つようになった。
:中学生の頃
中学生の時の性格もあまり変わらずおとなしい感じだった。ただこの時から 天然だね と友人からよく言われていた。
野球部に入部し青春を謳歌した。きついことも多かったが、友人と過ごしたこの中学時代は非常に楽しかった。彼女は作らなかったが、恋愛も人並みには謳歌した。後にも書くが、高校を含め学生時代はとても楽しんだと思う。
ただ1つだけ、中学生時代非常に悩んだことがあった。中1の頃に一部の女子に嫌われてしまったのである。理由が分からなかったため、対応しようがなかった。しかも俺の知らない他のクラスの女子からである。意味が分からなかったが、とても傷ついた。
学校にも行きたくなくなり、親にも転校したいと嘆願したこともある。この頃は周りの女子ばかりを気にし、常に下を向いて歩いていた。たまに誹謗中傷の幻聴まで聞こえてきた。(寒いがキモイと聞こえたり)
ただ中2ぐらいから気にならなくなり、女子とも話すようになった。今では本当に嫌われていたのか定かではないが、この出来事と後のパチンコが今悩んでいる被害妄想癖を構築したと思っている。
またこの頃から、友人と一緒にゲーセンでパチンコを打っていた。Y君とM君だ。この二人とは大学生時代も仲良く、パチンコをやはり打っていた。しかしY君は大学を中退し、M君は浪人してもなお、大学受験に失敗していた。原因はやはりパチンコだろう。子供の時からパチンコに関わると大人になっても関わってしまうのだなあと思う。恐ろしい。
ある日、父とご飯を行く約束をしていたことがあった。待ち合わせまで時間があったので、ゲーセンで花満開を打った。打ってすぐに確変を当て、当たりがずっと続いた。気づいたら待ち合わせ時間も過ぎていたが、焦りながらも打ち続けてしまった。ようやく終わり、待ち合わせの店にダッシュしたが、死ぬほど親父に怒られてしまった。
今こうして書いているが、この頃からすでに依存症の行動である。しかもお金じゃなくメダルゲームなのに、、
アホや(笑)
:高校生の頃
親の転勤もあり、九州から都内の高校へ進学。中3から猛勉強したため、比較的偏差値の高い高校に進学できたと思う。
友人も多くでき、彼女もできた。部活は軽音部とバドミントン部に入った。
文化祭のクラスでした劇では主役を務め、後夜祭ではバンド演奏をし、THE青春という感じの生活を送った。
高3になると予備校に通いだし、本格的な受験生となった。
高校生ではパチンコについて考えた記憶はほとんどなく、ゲーセンで打ったこともなかったと思う。
しかし高3の冬、ちょうど受験目前だったと思う。ある友人がパチンコを打ったという話をしてきた。それを聞いた途端、俺の何かがざわつき始めた。
『ああ、俺はもう18歳でパチンコ打てるんだ』そう思った。
パチンコ行きたい欲が徐々に生まれ、受験終わったら絶対行こうと心に決めた。
そして受験は滑り止めの大学のみ合格し、不本意ながら進学を決めた。
そして、いよいよここからがパチンコ地獄の幕開けとなる。
続きは次の記事『パチンコと僕 part 2』に書きます。
P.S
27年間生きてきたが、俺はもう二度とこんな経験したくないし、これからこんな辛いことはもうないと思っている。
それほど辛く、地獄の7年間だった。そしてこれを読んでいる貴方もきっとそうだと思う。
このブログを通して、もし貴方が克服できるきっかけや希望を見つけられたらとても嬉しいです。
またそのようなブログを書いていくので、今後ともよろしくお願いします。
GOOD LUCK

